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大阪家庭裁判所 昭和39年(家)1210号 審判 1964年6月17日

申立人 田川則男(仮名)

相手方 村井昌子(仮名)

未成年者 田川俊子(仮名)

(昭和三二年三月一三日生)

主文

本件申立を却下する。

理由

(申立の要旨)

申立人と相手方は、昭和三八年八月八日未成年者の親権者を相手方と定めて協議離婚し、未成年者は以後相手方に引取られて養育されていたが、相手方は未成年者の監護教育に熱意がなく、昭和三九年一月頃未成年者を大阪市中央児童相談所に預けたまま、最近刑務所を出所した本田某と共に、姿を消し、行方不明である。

申立人は現在靴修理業を営んでおり、二、三年のうちには古物商の営業許可をとつて営業をはじめるつもりであり、現在将来とも生活に不安はないので、未成年者を引取り、監護教育に当りたい。よつて未成年者の親権者を申立人に変更する旨の審判を求める。

(当裁判所の判断)

本件調査の結果によると次の事実が認められる。

申立人と相手方は、昭和三一年一〇月三〇日婚姻して大阪市浪速区○○○町に住み、昭和三二年三月一三日未成年者が出生した。昭和三六年二月頃申立人は賍物故買罪を犯して逮捕され、昭和三八年五月二五日まで服役した。その間に相手方は未成年者を連れて上記住所を去り、大阪市西成区○○○町○○番地○○荘で本田某なる者と同棲したが、昭和三七年一〇月頃本田某も犯罪を犯して服役した。その後昭和三八年五月頃からは、大阪市西成区○○町○丁目○○番地井田利子方で光田邦男なる者と同棲し、同月二一日未成年者を大阪市西成区○○町野村ミサ方川井晴子なる者に養育料を渡して預けた。未成年者は同年七月一日川井方で虐待を受けているところを西成警察署巡査に発見され、同月二日大阪中央児童相談所に通告された。同月六日相手方は同児童相談所において一時保護中の未成年者を引取つた。同年八月八日申立人と相手方は、未成年者の親権者を相手方と定めて協議離婚の届出をした。その後同年一〇月五日相手方は知人の山本義男なる者に未成年者を託し、「名古屋に行つてくる。」と云つたまま今日まで行方が知れない。

山本義男は同月一二日未成年者を上記児童相談所に引渡し、同児童相談所は同月二二日未成年者を児童福祉施設「聖家族の家」に入所させた。未成年者は、知能、身体の発育は標準よりすぐれており、明朗活発な性格であつて、上記施設における生活に好感を持つて調和し、快活に毎日を過ごしている。

申立人は、昭和三八年五月二五日服役を終えた後、昭和三九年一月頃から、住所地に三畳一間のバラック建住居を建築居住し、朝九時から午後七時頃まで大阪市浪速区難波○○劇場前で靴修理、靴みがきを業として生活しており、その収入の大半に飲酒代などに消費するので蓄えはない。申立人の住居は荒地に建てられた一軒家であつて、電灯の設備もなく、水は附近の家から貰い水をしている。申立人としては未成年者を引取つたのちは、毎朝未成年者を連れて難波まで出て、難波附近所在の小学校に通わせ、下校後はしばらく申立人の出店附近で遊ばせ、共に外食をして帰宅する方針であるという。

以上のとおりであつて、これらの事実に照らして考えると、申立人の現在の生活状態の下においては、未成年者に対し、十分な監護教育をなしうるとは認めることができず、その生活環境も未成年者の福祉にとり、好ましいものとは云えない。むしろ、現在の施設の方が未成年者のためにも適当であり、さらに調査の結果によると、未成年者も申立人に引取られるよりは施設における安定した生活を希望し、父子間の愛情、信頼間は極めて薄いのに対し、母に対する思慕の念はいまだに消え失せていないことが窮われる。

離婚のさい親権者と定められた親が所在不明となり、子に対し親権を行使することができない状態にあるからといつて、それが後見開始原因になるは格別、当然に他方の親に親権者を変更すべき原因になるものとはいえない。親権者の変更は子の福祉、利益のために必要な場合に限定されるのであつて、本件の場合、申立人が上記の如き生活環境にあり、未成年者との関係も上記のとおりである以上、親権者変更を必要とする場合に該当するものとはいえない。申立人において、自己が親権者になることを欲するのであれば、まず未成年者の福祉に適合するような生活環境、父子関係を作るべきである。結局現在のところ未成年者の親権者を相手方から申立人に変更することが、未成年者の利益のため必要あるとは認めることができない。

よつて申立人の本件申立を不相当として却下することとし、主文のとおり審判する。

(家事審判官 金田宇佐夫)

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